ある日
朝日新聞に「いい教育については、全ての人が教育を受けた経験があるため、
誰かしら何らかの答えを持っているだろう」っていう言葉があった。
うーーーーーん…誰かしら何らかの答えを持っているものなのかなぁ?
楽しかった、この経験が役に立ったって顕在的に言える大人はどれくらいいるでしょうか。
私は、自分の受けた教育の中で何が今の自分にとってすごく良かったかはわからないです。
しいていえば、小学校の時に陸上と球技を一生懸命頑張った経験とか、
中学校にいじめにあった時に学校の対応が最悪だったこととか
高校時代の学校が高偏差値至上主義・努力至上主義な価値観で、あまり高偏差値じゃなかった私は自尊心がひどかったなぁとか
は!マイナス思考!笑 しかも後半全然違うことだし
何が良くて何が悪かったかはわからない
全ての経験が相互作用して、小中高って学校という空間にいて
いろいろカリキュラムをこなしていくうちに少しずついろんなことを学んで
いけたんだと思うんです。
道徳教育も楽しかったけど、それが今の自分のモラルに繋がってるかは疑問だし
算数と数学の考え方が今の自分の考え方のBaseになったかは…わからない
何が今の自分に役立つか、どのカリキュラムが良かったか本当わからないんです。
すごく沢山の時間を学校という場で過ごしてきて、その時間で様々な人と相互交流しながらいろんな課題をやってきて、その中で泣いたり笑ったり感動したり、そういうこと感じたり考えたりやってきた感じはあって
公教育があったから、沢山の機会が与えられて、その機会の中で子供はかってに育っていくんじゃないかなーって思います
だから、いい教育って子供に沢山いろんな経験をさせること…かな
その一つ一つが直接的な結果として現れるわけじゃないけど
いろんな経験をさせればさせるほど、子供は育っていくよーって感じ
ここまできて、ぬかづけみたいだなーって思った。
あれもさ、沢山いろんな食材いれるんでしょう?
野菜くずとか沢山いれて、出来た糠を毎日人の手でかき混ぜるんでしょう
そしたら、そこで漬物が出来るんだよね
それと同じで、よくわかんないけど取り敢えず子供が毎日何か経験して体験して
学んで感じるための土台を教育が提供して、その土台に関して
教師とか親とかの大人が子供に直接的に働きかけると
いつのまにか子供は育っていくものじゃないかな
親は何かしらの理想があって、いろいろおけいこごとさせたり
情操教育をしてみたりするけど、それよりも道端のダンゴムシの方がよっぽど
示唆を与えたりとかね、そういう感じ
あまりに楽観過ぎるのかな?