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木馬の時間

ブログタイトルは俵万智さんの大好きな歌から。ゆっくり、前に後ろに。

大学院生女子が自身の経験から語る、女性であることの不利益に関して

上野千鶴子さんの小気味いい語り口が大好きで、著書を何冊か読んできましたが、

世の大半の女性と同じで、男女不平等を特に意識せずに生きてきました。

女性であることが、自発的行動を妨げたり阻害したりすることは今まではなく、

むしろ女性だからこそ応援練習の団長からの風当りが弱かったり、女性であることから子供と接するときに自然に彼等のテリトリーに入ることが出来たりと、メリットすら感じたこともあります。

 

ただ、雲行きは大学の進路選択時で変わりました。

私は遠距離恋愛をしていたのですが、遠距離恋愛している社会人の皆様のゴールが

、「彼女」が仕事を辞めるor転職して「彼氏」のもとへ行くことばかりだったのです。「彼氏」が移り住むという選択肢を取っているカップルは稀少でした。

そうか、彼と住みたいなら、いつか仕事を辞めなければいけないんだな。

そう思い、自然に職業選択の場所が彼氏が働いている場所へと移りました。

当たり前のように、仕事を辞めたり転職するのは「女性」なんだなぁと思いました。

それは、きっと固定観念だけではなく、産む性であることも往々にして関係するんだろうなぁと思ったのが、男女の違いを感じたはじまりです。

 

私は今、大学院を24歳で卒業します。

その後、新卒として公務員になるのですが…

子を産んだら子供が中心の生活になり、生活を犠牲にしてまで仕事をっていう道が選べなくなることに、さらには、それが子供が大きくなる12年~20年続くことに、驚いたのです。

子供と母体の健康のために、やはり30前に初産を行いたいと考えると、

仕事だけに没頭できる時間は、あと3年位なんだなぁと思うと、

そして、彼氏はあと3年しか仕事に没頭出来ないなんて考えたことがないだろうなぁと思うと、

やはり男女の違いはあるんだと考えます。

 

それがいいとか悪いとかじゃなくて、そういうものなんだなぁと思います。

そうなると、やはり女性はなかなか挑戦出来なさを感じます。

博士までいったら+3年以上で、社会に出てからもう一度学んだり、海外留学とか海外勤務とか、そういういろんな自分にある可能性を考えるときに、

子供のことを考えて、その選択を選ばないなら、そして同じ状態で男性ならば選べたのになぁとちらっと頭によぎる限りは、やはり男女不平等はあるんだなぁって

そう思います。