木馬の時間

ブログタイトルは俵万智さんの大好きな歌から。ゆっくり、前に後ろに。

声を大にして言いたいけど、歯を食いしばって耐え努力することが必ずしも貴方を成長させることではない

日本人が特に陥りやすい考え、思考パターンだと思う。

蛍の光で勉強した子を湛えたり、

甲子園球児が暑さに耐えて白球を追いかけている姿に感動したり、

子育ても介護も仕事も家庭も美容も全て手を抜かないことが良妻賢母とされたり

そういうのって全て根幹にあるのは

「歯を食いしばって耐えて努力すること」至上主義とか、素晴らしいとかそういう思考だと思う。

そういう人は、ホリエモンみたいに汗水垂らしてなさそうな「イメージ」の人を嫌う

そして、自分が120%の努力をしていないことを、責めて

「頑張ってるね」って褒められても「全然頑張ってない」って真剣に思う・

その上、自分より頑張ってない人を内心見下して、その人が自分よりいい思いをしないことを切に願っていたりする。

 

そして、それが、3年前の私だった。

3年前の私は、その結果、体を壊した。

 

体を壊して心も疲弊して、何も出来ない日々が3か月程続いた。

そこで悟ったのは、努力至上主義って一見素晴らしい価値観だけど

人間ってそんなに頑張れない生き物なんだってこと。

目の前の課題をなんとかこなして、ご褒美に自分を甘やかして、

そうやってみんな毎日毎日しのぎながら生きてるんだなーってこと

120%努力しなくても、少しでも進むことが出来たらそれが素晴らしいことだし

進めなくたって、休んでたらまた進むことができるエネルギーが蓄えられるんだなってこと。

 

環境が時に、自分の120%を望んでくることがある。

ブラック企業とか、進学校とか、部活とか、家族の雰囲気とか。

そういう時も、自分で管理する必要がある。

心とか体を壊すと、それから回復するのは結構大変。

だから、心とか体が壊れる前に、自分で環境を変えたり、逃げたり、

対処する必要があるんだ。

自分を護るのは自分しか出来ない自分の責務。

自分が心を病んでいたり発達中の子供でそこまで気が回らなかったら

周りの配偶者とか親が代わりにまもってあげれる必要がある

 

わたしは今そう思ってるし、そういう風に思えるようになったら

周りの人の弱さも自分の弱さも受け入れられるようになったし

自分が歩んだ一歩一歩の努力もやったって思えるようになった

努力をするのが至上主義だと、努力をするのが目的になって、手段じゃなくなる

 

勿論自分の至高の目標のためには時に歯を食いしばって耐えなければいけない時が来るのはわかる。

だけど、それずらなく努力することが自分にいいことだって思って必要な痛みだって思って、自分を壊しかねない作業をしていないか問うことが必要だと思う

 

3年前の私に会えたら是非伝えたいことを

まとめてみました。