木馬の時間

ブログタイトルは俵万智さんの大好きな歌から。ゆっくり、前に後ろに。

かぐや姫の罪と罰は、かぐや姫の死じゃないかな

かぐや姫、見てきました。

 

端的な感想としては、かなり泣きました。

沢山気持ちが揺り動かされました。

ぎゅうって切なくなったり、思わず声をたてて笑いそうになったり、躍動感にわくわくしたり、遥か遠い景色を見ているかのような気持ちになったり。

こんな風に見ている最中は気持ちが揺れに揺れて、

そして終わった後「あれはどういうことだったんだろう」って考えることが出来る。

それはやはり「いい映画」なんだろうなぁと思います。

やっぱり、誰が監督でも、ジブリはすごい。

 

「今は昔、竹取の翁というものありけり。野山に入りて竹をとりつつ…」

高校生(かな?)古文の教科書で暗記したあのフレーズから始まる物語。

姫を大切に、大切に、育てているととさまとかかさまの姿に微笑ましさを感じる前半。

山の、虫も、鳥も、花も、空も、全てが美しく生きる喜びに笑いながら

すくすくと…本当にすくすくと育っていく姫。

 

翁の愛は「天からの願いのように、姫を高貴に育てたい」という使命感へと代わり、

都へと旅立ちます。

当初は、まだまだ元気に色とりどりの着物に目を輝かせてみたり

大きなお屋敷に喜びを隠しきれない姫でしたが、

大人になり、求婚されるようになると、いつの間にかぞっとするような大人の表情を見せるようになります。ぞっとする位、美しい。

冷え冷えとした、あの生き生きしてくるくる表情が変わる姫とは別人のように。

 

同期と先輩と見に行きましたが、かぐや姫の犯した罪は何か、罰は何かについて議論しあいました。

生き生きと、自然に心動かされながら、感情の赴くままに生きることが罪か、

はたまた、そのように生きないことが罪なのか。

・・・前者だとしたら、罰は、全て忘れて月に帰ること。

後者だとしたら、罰は、もうそんな風に生きられないこと?

 

「月」というのは「天国」だとしたら、

帝に求婚を迫られたときに、姫は「死」を祈ったのかもしれない。

何も感じなくなる、地上の取るに足りないつまらないことに心乱されなくなる世界を。

しかしその後、兄様と再会して、改めて生きる喜びを知る。

だけど、もう時すでに遅し。

死を願ってしまったことが「罪」で、その通りになるのが「罰」?

 

翁に従い、本来のありのままの感情ままに生きなかったのが「罪」?

はたまた、つまらぬ気持ちの揺れや現実への愛着を感じてしまったのが「罪」?

世迷言で、誰かを傷つけてしまったのが「罪」?

死を願ってしまったのが「罪」?

 

考えはまとまっていませんが、見られてよかったと思いました。