木馬の時間

ブログタイトルは俵万智さんの大好きな歌から。ゆっくり、前に後ろに。

いやなことばっかりみてるのは「あなた」だよ

愚痴が多いお友達がいる。

今は離れた場所で暮らしているから、電話でしかかかわりはないのだけど

電話するたび、愚痴が多い。

この間は、彼女のお誕生日だったから、ひと声おめでとうを伝えたくて電話したら

「わたしももうおばちゃんだからね、誕生日が嬉しくなくなるよ」と、年を取ることへの愚痴を言い、

「しかも今年も一人で誕生日だしね」今年も誕生日を一人で過ごすことへの愚痴を言い、

テレビばっかりの日常生活の愚痴を言い、

春から社会人になることへの不安や愚痴を言い、

今の周りの友達の意識の低さへの愚痴を言い、

指導教員の愚かさや「浅さ」への愚痴を言ってきた。

 

ふふふ、見事に愚痴だらけやー。いっそすがすがしい 

まぁ確かにね、生きていれば愚痴も言いたくなるさーって感じる。

自分と価値観違う人も、自分が嫌な人も自分のこと嫌な人もいるしね。

だから、愚痴はいくらでもいえると思うんです。誰でも。

だけどね、愚痴ばっかりいっていたら、嫌なところばっかりに目がいくようにはなると思います。

それで更に愚痴を言うようになって、更に嫌なところばっか目が向いて…の無限ループ。

彼女はきっと、この2年間このループにはまっていたのでしょう。

このループを断ち切るのって本当に大変だけど、断ち切った方がいいんじゃないかなぁ。

 

他の友達がいます。

いわゆるブラック企業でパワハラやらセクハラやら嫌味やらで劣悪な職場環境だけど、彼女と電話をすると、彼氏さんとデートをして楽しかった話とか、季節の変化に喜びを感じている話とか、そういう話が大半です。

仕事が嫌でしょうがないから、その嫌な話はしたくないって

友達と話す時位は楽しい話をして楽しい時間を過ごしたいって言ってくれます。

きっと彼女も辛い思いは抱えていると思いますが、辛いものだけではなく他の部分でポジティブなものも同時に見えている印象です。

 

自分の環境の中で、何を見るか。

嫌なもの、嫌いなところ、むかつくところ、そういうことばっかり見ることも出来る。

だけど、楽しいこと、自他の成長、生きる喜び、わくわくすること、そういうことにも目を向けることが出来るんです。

自分の環境の中で、そういったポジティブな部分を見つけることが出来る力がある人程、幸せに生きていける気がします。

 

だからね、そのお友達に、愚痴を言うのは構わないし、言ってすっきりするなら聞く。だけど…自分の環境の嫌な面ばかり見てしまう傾向が身についていないのかなぁという風に、いつか伝えたいと思ってます。

…そうじゃないと、きっといつか電話で話すのが嫌になってしまうから。