木馬の時間

ブログタイトルは俵万智さんの大好きな歌から。ゆっくり、前に後ろに。

好きな部分も嫌いな部分もあることを受け容れること

長年浮気し、母を傷つけてきた父。

学費を出してることについてうるさくいうことで、

学生であることに対して罪悪感を子供たちに植え付けつづけた父。

 

そんな父を見て、弟は「クズだ」と称す。

尊敬できない、正直学費出してもらうだけのATMに過ぎない、

そういう苛烈な言葉をいうことで(本人の前では言わないが)

傷つけられた仕返しをしているようにも見える。

 

私は、そこまでは言えない。

母を傷つけてきたことに憤りを感じるし、

仕送り0で頑張ってきた私たちに対していつもお金がかかって大変だと嘆き

お金がないお金がないっていう父が嫌だった。

だけど、そういう部分だけじゃないのも知っている。

仕事に命かけてきた部分、不器用ながら子供を楽しませようとしていた部分、

そういう部分も知ってるし、一緒に楽しく過ごしてきた時間もある。

…だから、わたしは父の全てを嫌えない、憎めない。

 

弟みたいに、いっそ全てを憎んでしまう方が楽なのかもしれない。

…いや、親を憎むということは、自分のルーツを憎むことだから、辛いのだろうか。

憎み続けているそれ自体が、しがらみになって

ますます、離れたいはずの父から離れられなくなっている弟。

 

弟はまだ、二極化の考え方しかできない。

尊敬できる人、好きな人は尊敬できる部分や好きな部分しかなくて、

憎き父は憎い部分しかない軽蔑する対象でしかない。

もっともっと人間なんて複雑にできているから、いろんな部分があるのに。

好きな部分まで憎んでしまったら、楽しかった思い出すらウソになってしまう。

 

悪口は聞きたくないよ、家族の悪口を他の家族から聞きたくない。

母から父の悪口を聞くのもつらかった。

わたしは将来、家族の悪口を他の家族成員にいうことは絶対しない。

 

大切な人を大切な人から否定される経験をさせたくない。