ジャッジと大脱出、どちらを視ようか悩んだんです。
ジャッジは見るからに、気軽な気持ちで楽しめて、それなりの「かっこいい」とか
「おもしろい」とか「よかったね」っていう言葉で終わる感じ。
だけど、多分10年後の自分には残っていない感じ。
だから、たまにはアクション映画など見てみようと、そう思って大脱出を選びました。
ネタバレします。
ええと、爽快感がある映画でした。
不可能と考えられる脱獄を見事成し遂げられて、
冷血に主人公をいたぶり続けてきたホブス所長をはじめ「敵」は
バタバタと死んで行って、社長にも過酷な罰を与えられて、
「悪者」は全員死んでいった映画でした。
秒刻みでの計画、緻密に秘密裏に進んでいく計画
どうやっていくのだろうと、わくわくしました。
見た後ちょっと疲れましたが、大画面の映画だからこそ爽快感があるのかな。
アクション映画はあれですね、ジェットコースター好きな人が好きなのかも。
スリルとかドキドキ感とか、そういうのを楽しめる人。
話の筋とはちょっとずれますが、気になった箇所を2点。
まずは、レイが医師に関してヒポクラスの誓いを持ち出したシーン。
ヒポクラテスの誓い。心理学を学ぶ私も読んだことがあります。
その中の一部にこういった言葉があります。医師の倫理基準です。
医術を行う者として、神に背く行為はしないというまぎれもない真摯な気持ち、
その理性に訴えかけ、効いたのでしょうか。
その結果として重要な味方を得ます。
ホブス所長に対してはロットマイヤーの情報を取引物とするという、欲望に訴えかけたのとは正反対です。
結局ホブス所長は敗北したわけですから、名誉とかお金とかそういうものは敗北し、倫理感とか真摯な気持ちが勝利したという、結局構造としては勧善懲悪で道徳的な映画なのかなーってなんとなく思いました。
だけど、医師の葛藤をもう少し見たかった気もします。
倫理とか気持ちとかそういうものって、すごく大事なんだけど、貫き通せないからこそすごく大事なものであるから。
もう一点。
ドレークのムスリムへの信仰心を、脱出のプロセスの中の一手段として「使った」シーンも心に残りました。結局ドレークは銃に打たれ「神は偉大だ」と言い残して死んでいく。
最初の方の礼拝しているシーンに対しても「よくやるな」と、賞賛にも皮肉にも聞こえる言葉を言っていたことも印象的でした。
神も仏もないような、存在することが誰かにとって都合が悪い人を非合法に拘束するという場所。
そういった場所なのにもかかわらず神を信じていた人が、神の非道さを身を以て知ったうえで、神の偉大さを崇めて死んでいく。
…それが、すごく不思議な気がしたのです。
それを考えたときに、ドレーク達にとっての「神」は、私が捉えている神とは違うのかなーと思いました。
幸せになるために、今の状況がよくなるために、神に祈りを捧げているのではなく、
生の一部の祈りなのか、何かを目的として祈るのではなく、祈ることを目的として祈るのでしょうか。
神は偉大だと信じ続け死んだドレークにとって、揺るぎ無い信念を持ちつつ死ねるのは、不幸でも悲惨でもなんでもなくて、うーん「そういうふうにできている」じゃないですけど、ありのままに受容しているというか、
…なんでしょう、死生観がきっと私とは違うのかなーと思って心に残りました。
…アクション映画もいいかもしれません。
ただ、けっこう疲れちゃったので(笑)2年に一度でいいかなー