妊娠してから、マタニティマークをつけた。
嫌がらせされかねないとか、怖い噂もあったけどつける方が自分にとって大切と判断し、つけ続けた。
私の意図としては、
①立ってるのが辛い時に、優先席に座るため。
②貧血で倒れた時に、妊婦だとすぐわかって適切な処置をしてもらうため。
この二つ。
ただ、譲ってもらえたりもするのかなぁという淡い期待も、とくにつわり最悪期にはあったのは否定できない。
ところが、全然席を譲られなかった。
大袈裟ではなく、100回くらい乗って譲ってくれたのは2人だけ。
譲られないのが当たり前すぎて、譲ってくれた時はかなり狼狽してしまった位。
別に、この事実についてネガティブな気持ちを抱いたわけではない。
周りを見る余裕がないくらい、疲れていたら、気づかなくて当然。
気づいていても、いろんな要因で席を譲るまでの行動に移せないのもわかる。
でも、その話を妊婦あるあるとしてAちゃんにした時に、"私結構譲ってもらってるよ!"と言った時はびっくりした。
驚いた私に、"私結構マークをアピールしてるかも"と。
マークをアピールなんて、図々しいと思われそうで出来なかった…!
そういう図太さが、母親になるなら必要なのかなぁ…
最初はそんな風に思っていたんだけど、暫く考えて、単にAちゃんが"人から助けられ慣れてる"ってことなのかもしれない。
Aちゃんは、身長150センチくらい、小柄で、細くて可愛らしい女の子。
体力もなく、よく風邪をひいている。
Aちゃんは、親からかなり溺愛されてずっと実家暮らしだった。
実家を出たあとは、すぐに頼もしい彼氏を見つけてる。
自分で何とかする体力や物理的な力がなく、周りが助けてくれるのが生存戦略だった。
だからきっと、Aちゃんは周りが助けてあげることができる力を手に入れた。
可愛くお願いしたり、お礼を言える力。
困った時に周りに気づいてもらうアピール力。
マタニティマークを見せることも、席を譲ってもらうことも、彼女にとっては当たり前のことだったんだ。
対して私は、自立心をつけることを求められて育ってきた。
18で親元を離れ、他県で一人暮らし。
仕送りもない私は、自分で考えてバイトをし、お金のやりくりをし、引越しをし、就活をし、就職をした。
彼はずっといたけれど、遠距離だったため、そこまで頼る対象ではなかった。
だからこその力もたくさんついた。
だけど、人に甘えたり助けを求めたり、そういうスキルがない。
ちゃんと、周りに頼って甘えていくことって、悪いことじゃないし、その分余裕がある時に返せばいいのに。
わたしはそれがとっても心苦しくて、辛くなっちゃうんだなぁと思った。
その力をつけることが、今のわたしの課題なのかもしれない…