読書を偉いと言われる居心地の悪さから考察
よく家を行き来するママ友達は全く本を読まないようで、わたしの本棚を見て偉い偉い言ってきます。
日常的に本を読む習慣がないため、息を吸うように本を読むわたしが信じられないようです。
読書、よく偉いと言われてきました。
でも、言われるたびに居心地が悪い。
わたしの実家はみんな読書家で、多分本を読んでいる冊数はわたしが一番少ないんじゃないかなって位。
なので当たり前のことでした。
それに、好きなことでした。
小説を読むことは娯楽ですし、その子がドラマが好きと言うのと同じだと考えています。
専門書を読むことは、興味があるテーマなので楽しいですし(楽しくない本は読めません…)、専門家の友達や先輩方はもっとたくさんの本を読んでいるので、特に自分がすごいとも思いません。
あぁ、偉いってきっと、やりたいことを我慢してしんどいけど優れたことをやっているというニュアンスがあるんだろうな。
だからピンとこない。
だって好きだからやってるもの。
それに、本を読むのって別に優れたことじゃないと思うもの。
本なんて漫画しか読まないよー、娘ちゃんも本好きに育ちそうだね。
うちの子は本なんて読まないで外でずっと遊んでそうだな。
そう褒められて、
ちょっともやっとしちゃうのは、"本なんて読まないで外で元気に遊ぶほうがいいよね"って思ってるんじゃないかと邪推しちゃうから。
わたしは、本を読んでたくさんの世界を知りましたし、読書自体で楽しい思いをしてきたので、娘にも本を好きになってもらいたいと考えています。
自分の本好きなところは、気に入っています。
通勤電車で文庫を読む綺麗なお姉さんがいると憧れます。
きっとママ友達の周りに本を読む人が全然いなかったから、私がすごく興味深いんだろうな。
偉いってあまり好きな言葉じゃないな。
やりたいことを我慢してやりたくないことをやっている人を賞賛するときにはいいと思うけれど …
本人が何かしらのやりがいを持って何かをやっている場合、そのなにかを"大変なもの"と決めつけていることにもなりかねないから。
わたしはあまり使わないようにしよう。