木馬の時間

ブログタイトルは俵万智さんの大好きな歌から。ゆっくり、前に後ろに。

夫との関係を対人関係療法的に読み解く

大好き、精神科医水島広子先生。

この本を読みました。

 

対人関係療法で改善する 夫婦・パートナー関係

対人関係療法で改善する 夫婦・パートナー関係

 

 



 

読みながら、改めて自分の夫婦関係を考えると。

あぁ、そういうことだったんだ。

と、いろんなエピソードについて、理解が深まりました。

読み終わった後は、夫との関係についても前向きになりました。

 

まずは、夫が何故付き合っていた時からずーっと、私を大切にしてくれないと感じていたか、腑に落ちました。

夫婦間、恋人間は、すごく近しい関係になり得ます。

近しい関係になるからこそ、自分と相手の境界がうまく引けず、相手を別人格として尊重できなくなるのです。

自分の延長線上だと感じてしまうんですね。

だから、自分の扱い方が、恋人や配偶者の扱いになるんです。

夫は、自分の気持ちや体調を大切にする人ではありませんでした。

行きたくない飲み会でも誘われたら行き、自分のことを"クソ人間"だと思っている。

"俺なんてどうせ"が口癖。

その延長で、私との約束も平気で破り、身体的人格的な部分の悪口を言ってくる。

私を別人格として、尊重出来ていなかったのです。

その背後には、自分のことを尊重出来ずにいるという彼がいたんですね。

心の底から納得しました。

 

彼の自尊心の低さは、親との関係から来るだろうと推測しています。

"あなたはどう思う?"と気持ちを聞いてもらい、感情をそのまま受け入れてもらう経験の乏しさから、自分の感情より他者を尊重する姿勢が身についたんだと感じています。

仕事の愚痴を聞くときはそのまま受け入れること、考えを尊重し、肯定すること、今後も続けて行きたいです。

 

 

また、日常の夫とのストレスについて、改めて整理できました。

水島先生は、ストレスは役割期待のズレと述べ、大きく分けて三つ挙げています。

・自分が相手に期待したことを相手がしない

・やらないでほしいと期待していることを相手がする

・相手が自分に期待してくることが自分のやりたくないこと

それぞれについて、どのように検討していくのかが本書では説明されています。

 

それを元に考えてみると…

 

・自分が相手に期待したことを相手がしない 

使い終わった後キッチンの片付けをしないこと。

戸を開けた後閉めないこと。

→ 毎回イラっとしますが、片付けをしてくれていた時にお礼を言うことから始めようかな。

また、この件も異常にイライラする時としない時と波があります。

本書でも触れられていたように、もしかしたら私自身の他のストレスが夫のだらしなさへのイライラへとすり替わっている可能性もあります。

夫の問題ではなく、私の問題の可能性ですね。

 

 

・やらないでほしいと期待していることを相手がする

娘と遊ぶ時、ずっとテレビやスマホをながら見していること。

○時に帰ると言ってその時間に帰らず、過ぎてから時間変更をする

→これも、やってくれた時にお礼を言おう。出来なかった時に、何か事情があったかを聞いて、私はそうしてくれると安心だということを伝えよう

 

 

・相手が自分に期待してくることが自分のやりたくないこと

義父母と仲良くすること

→どの程度仲良くすることを期待しているか、仲良くするということはどういうことか、次ズレを感じた時に明確にしようかな。

今は、普段の連絡窓口を夫にすることと、年に二度ご挨拶に行くことで精一杯ですが、それで夫が満足しているのか、不満なのか、聞いてみたい。

 

ちなみに、義父母と妻との間の関係性で夫が不満を抱いている場合、その不満はどこから来るかを考えることも大事という部分が面白かったです。

親離れできていない時に、自分の両親が大切にされていないと感じやすいということです。

詳しい説明はありませんでしたが、親離れできていないということは、親と自分との境界線が緩いということかな。

それで、親に対しての妻の態度が、自分に対する態度と感じてしまうということでしょうか。

義父母に対する妻の態度が、自分に対するものと感じたら、それは不満に感じるでしょう。

この可能性も、頭の隅に置いておきます。

冷たいようですが、親孝行は自分の親に対してするものだと感じています。

夫の親に対する気持ちは、近所のおばさんおじさんに対するような気持ちでしかないのです。

 

ずっと連れ添っていく相手ですので、しっかりメンテナンスをしつつ過ごして行きたいと思います。

良い本!

 

水島先生の本に繰り返し描かれているこの考え方が少しずつ、自分の中に染み渡って行くように感じます。

 

全ての人がそれぞれの事情で精一杯生きており、現在の言動はその事情の総合的な結果