木馬の時間

ブログタイトルは俵万智さんの大好きな歌から。ゆっくり、前に後ろに。

"あなた"はどう思ってるの?

昔付き合ってた人は、自分がない人でした。

"なんでもいいよ"

"行きたいところ、付き合うよ"

デートの時間も場所も頻度も全て私優先…というより、私任せ。

二人のことなのに、なぜいつもわたしだけが決めるんだろうと疑問に思いながら、わたしの好きなようにできる楽さに甘えていました。

 

自分のペースのみで人と付き合うことは、人をどんどん自分勝手にさせますね。

都合の良い時にのみ彼と向き合い、いつのまにか他の人に惹かれてしまい、別れを告げました。

"◯◯が望むなら…"

"○○が幸せになるなら"

そう言ってすんなり別れてくれると思っていたら、別れるのにずいぶん時間がかかりました。

好きな人ができたと言ったら、

"そいつにあって俺にないところは?それを全て身につけるから付き合い続けて"

といわれ、絶句した覚えが。

今考えると、それも、相手の好みに合わせる彼らしい発言だったんでしょうね。

 

一見、勝手に振り回した挙句、他の人を好きになって最後も振り回して終わるという恋愛でした。

彼はきっとそう思い、被害者的立場になっており、わたしも同じくそう思い、罪悪感が強かったです。

 

それから何年も経った今思うこと。

あれは、わたしのわがままが助長されてしまい、二人の関係が適切じゃなくなってたな。

本来なら、人間関係ってお互いが"自分"の都合や気持ちを言い合い、その中で折り合いをつけていくもの。

自分の気持ちや都合のみを尊重された結果、彼の気持ちや都合が見えなくなっていました。

幼いわたしは、それを推し量るということも出来なかったんですね。

彼が我慢して合わせてくれたことが普通になり、我慢して合わせていてくれたこと自体に気づかなくなっていった。

 

うーん、どうすればよかったんでしょう。

いや、はっきり意見を言い合える関係じゃないから、遅かれ早かれ終わりになっていたのでしょうか。

相手の気持ちや都合を意識して推し量るようにするべきだったのかな?

うーん、そんなことできなかったなぁ。

 

こういうタイプの人、友人にもいます。

決して自分からは誘ったり提案したりしないタイプ。

こちらから誘うと、口では喜んで応じてくれますが、不安になってしまうようになりました。

果たしてこの子にとってわたしはどんな存在なんだろう、無理して振り回してないかな。

無理して振り回したくなくて、微妙な気遣いが嫌で、結局疎遠になってしまいました。

 

自分の意見や気持ちをいうことって、人間関係を維持する上ではすごく重要なこと。改めて感じました。