信田さよ子先生の、ママの研究という本を思い出しました。
どちらも、主観的に親を加害者、自分を被害者として嘆く視点より、客観的に親はなぜあんな言動をしたのか"研究する"という視点を重んじています。
それによって、改めて親の言動は自分が悪かったわけではなく、親の問題によって引き起こされると"理解"できるようになり、上手くいけば、親のなすがままに振り回されている被害者な自分より、問題を主体的に理解し対策する自分へと、リフレーミングできるようになります。
水島先生の本は、親の問題を理解しようとする前に、子供である自分の被害者性をしっかり受け容れることを説明しています。
子供として不適切な環境で育ったこと、それは子供であるあなた自身の責任でなく、親自身の問題で起こっていること。
何度も何度も説くことで、親の問題と自分の問題とのごちゃごちゃになっている境界線をしっかり引こうとしているように感じられました。
また、愛着が安定的な人と関わることで癒されることを主張していることも、新鮮な考え方でした。
安定的な人、気分のムラなく一貫性のある人、距離を遠ざけたり近づけたりしない、受け容れてくれる、できることとできないことを明確にしてくれる人。
親によって作られた愛着スタイルは、決定論のように響きがちです。
でも、そうやって、安定的な愛着スタイルの人と出会い関わることで、少しずつ変えることができるもの。そんな風に捉えることができることも大事です。
妊娠子育て中より、親のしてきて嫌だった関わりが思い出されてきて、親のことが憎らしく思う経験をしました。
昔も、父に対して腹立たしいことがあったけど、怒りを十分に感じる前に"お父さんも仕事を頑張ってて疲れているから"と、知性化することで、怒りを封じ込めていた気がします。
でも、考えると、あの時の父の養育態度は、不適切なものでした。
そう今は、理解できています。
自分の親が毒親だと感じることで、自分の苦しみが言葉で表現できるものとなり、他者と共有できるようになったけれど…
ここから、この気持ちにどうけりをつけていけばいいの?と、悩んでいる人に、ぜひ差し伸べていきたい本だと思いました。