木馬の時間

ブログタイトルは俵万智さんの大好きな歌から。ゆっくり、前に後ろに。

うちの母ってへんですか

 

うちの母ってヘンですか? (Akita Essay Collection)
 

 田房永子さんの本。

ここに書いてある14人の親子は、すごく異常です。

異常ですが、ありえない!信じられない!と彼方の世界の人と思ってエンタメとして楽しむ気にはなりませんでした。

なぜって、きっと陸続き、地続きの人だと、子を産んだ今思ってしまったから。

家族って閉鎖的な場所で、自分の言うことを受け入れ、従ってくれる子どもという存在を得た時。自分の考えの偏った部分が助長して、子に押し付けてしまうこと…あってしまうかもしれません。

amazonのレビューでは、この母達は専業主婦に違いないと書いている人がいました。

社会とずれていることを気付かないままきてしまったのではないか…と。

核家族で閉鎖的な家庭という場所が、そういう現象を起こしやすくしているのだと思います。

もしそうならば、子供達にそういう思いをさせないためには、風通しの良い家にしておくのが大事でしょうか。

私が仕事復帰して、社会とのつながりを保つこと。

親戚や友達、地域との付き合いを通して子がいろんな大人と関わること。

それを通して、客観的に親を見ることができることが大事かもしれません。

だって、"うちの母ってへんですか"ってタイトルでわかるように、変だったことに気づくことすらできないんですものね。風通しが良くないと。

 

虐待案件と思えるようなエピソードもたくさんあり、胸が痛いと共に、そこから紆余曲折しながら生き延びてきた"娘"達に敬意の思いが湧いてきます。

なぜ生き延びることができたのか、その力はどこから得たものだったのか、もう少し聞きたくなりました。

ある人のエピソードでは、娘の保健室の先生が母の傷すらも癒してくれたという話が出てきました。作者はネットの悩み相談に書き込んだ時の解答が支えになったようです。

 

人生が一つずつ自分のコーヒーカップに乗っているようなものだとしたら

うちの母は私のコーヒーカップに乗り込んで回しまくっちゃってる感じ

娘のコーヒーカップに乗らない母親になりたいな。

侵略型の母親はどーにかして子どものテリトリーで自分が主役になるんですよ!

わたしの母はけして毒親の類ではない良い母ですが、こういうところはあるなぁと苦笑いしながら読んでました。

産後助産師さんが訪問してくれた時に、母が涙ながらに自分の産後の感動を語った時とか。

 

毒親かそうじゃないか二分されるんじゃなくて、閉鎖的な家庭という場では養育のやり方が偏りやすく、毒親になりかねない危険は誰しもあると思いました。