木馬の時間

ブログタイトルは俵万智さんの大好きな歌から。ゆっくり、前に後ろに。

浅田真央 私のスケート人生

2018年初めに読んだ本。

真央ちゃんがいないシーズンは、どこか寂しい。

寂しさと同時に、こんなにも応援できる選手がいたこと、こんなにも幸せを願える人に出会えたこと、幸せを感じます。

 

引退会見、黒のスーツを当初は考えていたとのことですが、白いスーツ、とても素敵でした。

爽やかで、凛としてて、未来を感じさせるまさに真央ちゃんそのもののイメージの服でした。

真央ちゃんは、どんな服でも真央ちゃんのために作ったのではないかと思える位、素敵に着こなせてますね。

体幹やしなやかなスタイルの魅せる技なんでしょうか。

 

本の中で"母が見てくれているという感覚"を語っていましたが、それはお母様を内在化出来ているということなんですね。

その証拠に、"自分のやるべきことをやりなさい""人のためになることをやっていてね"
といったお母様の言葉を思い出すと語っています。

母ならこういうだろうな、こんなふうにするんだろうな、そんな風に考えられる。

お母様からしてもらったこと、たくさんの愛情、しっかりと真央ちゃんとお姉さんの一部になっている。

それが、真央ちゃんの強さや優しさの根幹なんだと心に残りました。

 

あぁ、すごい。

娘を育てている一人の母親として、お母様のことを尊敬する。

娘が、私のことを内在化して、私がいなくても大丈夫になって、他の人と関係を築いてその関係の中で生きられたら。

それは子育てを終えたということなのかな。

 

本の中では、いっそ潔癖すぎるくらいの、彼女の真っ直ぐさ、真摯さが伝わってきました。

自分にとてもとても厳しい人。

あんなに柔らかで、優しいイメージなのに、自分に厳しくて凛としてて強い。

人生観も、心に残りました。

人生は自由に生きることが実は難しいけれど、修行の場だけど、自分の人生をちゃんと生きること。

人生が修行の場なんて…!

真央ちゃんにとっては人生はそういう場なのですね。

天からギフトを授かった人だからこその苦悩なのでしょうか。

 

雑感ですが、私の知り合いが、真央ちゃんを見るといろんなものをしっかり受け止めて背負ってるようにみえると語っていました。

確かに、真央ちゃんの世代…小塚選手にせよ真央ちゃんにせよ、高橋選手にせよ、自分たちの背負っているものにすごく自覚的だった印象があります。外に目を向けて気遣ってた。

その下の、村上佳菜子選手や羽生選手は、それから少し自由にみえる。その外部からの注目を喜べるいい意味での図々しさもあったような。

さらにその下の世代の、宮原選手や宇野選手は、自分の内部に集中できるようにみえます。

 

真央ちゃんの壮絶さ、強さを改めて感じられる本でした。

 

見違える、わたしの仕事時間 Emi

育休からの復帰を考え、書店でも少しずつビジネス本や自己啓発本に目が向くようになりました。

Emiさん、ブロガーなのですね、存じ上げなかったです。
いろいろ、自分が見つけてきたライフハックを教えてくれる、そんな感じの本が好き。

ラクをするを心がけると大事な時間が生まれる

という言葉に心惹かれました。
ラクをするとは、つまり効率化することなんですね。
手間を惜しんで、効率化し、本当に大切なことに時間をかけていく。
私にとって、家族との時間や自分一人の時間は大事な時間。
それらの時間をキープするために、いろんな技を使いながら仕事を効率的にやっていきたいです。

たった数秒が積み重ねれば自分の時間を増やす事につながる

自分の時間を大事にすること、考えていきたいです。

・資料はすべてA4のクリアファイル。
・そのファイルをカテゴリ毎に1ボックスにいれ、ラベリング。
・そのボックスがいっぱいになる度に資料整理。
・A4クリアファイルを徹底するために、空のクリアファイルのみが入ってるボックスを手の届きやすいところに置く。
・"まさに今"使っているボックスだけを机上に置く。
・出張持ち物リストを作って、抜けないように
・週1の15分片付け
・うまくいった仕事はなぜ上手く行ったか振り返る
・打ち合わせの日程調整で候補日が数日あれば早い方を選ぶ
・1年の初めに長期休みの日程を決める
・朝起きたら何をする?職場に着いたらまず何をする?ルーティン化で考えずに出来るくらい。
・毎日の献立を決め、その献立に必要な野菜を切ってまとめパックを作って置く
・自立するバックインバックを社内でも出張にもそのまま持ち歩く。
・書類はできるだけA41枚にまとめる
・テンプレートを作り、書類は一から作らない
・伝言メモには予め捺印しておき、毎回書かずに済む

今の自分は、仕事と家庭と分けて考えていますが、今の家事育児に仕事の効率化の考えを適用すれば、家事を楽して出来るかしらと思いつきました。

小泉放談

小泉放談

小泉今日子さんが好き。
あまちゃんのお母さん役で、肩の力抜けてる演技が好きになった。
歳を重ねてるのに、とってもチャーミングでゴージャスで強くしなやかな女性。

小泉さんの文章も、好きだ。
いろいろ経験したことがあるのに、重くない。
たまに、いろんな辛いことがあったんだろうなって、背中に重い荷物をしょってる人がいる。
何かの節にその荷物が顔を出す。
小泉さんもきっといろいろ経験したでしょうが、それがしなやかに過ぎ去ってる感じ。
本人は身軽。

名だたる著名人が、みんな小泉さんに一目置いて、今後に期待している感じが見えて面白かったです。
50歳を迎える小泉さんが、50歳を超えている先輩方と語る本。

心に残った点は、浅田美代子さんとの対談の中で、浅田美代子さんの犬に対する思いを小泉さんが語ってるところ。

美代子さんの犬たちもお母さんが亡くなられたあとの美代子さんに秩序を作ってくれたんですよね。朝起きて、昼食べて、1日何度かは外に出てね!って

人に秩序を作るって大事。
仕事や学校なども人に自然に秩序をプレゼントしてくれますね。
自分一人でなんでもしていいという状況だと無秩序だと、堕落してしまいます。
いつかは悲しいお別れも避けられないですし、そうなった時に
それでも、歯を食いしばってしっかり自分の生活を営んでいくということは大事なこと。
そして、朝起きて外に出る機会をくれるのは、守るべき存在なんだろうな。
引きこもりの子達、不登校の子たち、すっごくくたくたでもうどうしようもない時は、無秩序の中で休むを貪るのが大事。
それが終わったあとは、生活の秩序を立て直していく段階なのだろうな…と思った。
父が仕事退職したら、犬を飼おうと思っているんです。
その思いが強まりました。

死に関連して、もう一つ。
上野千鶴子さんとの話の中の、上野さんの言葉。

親を見送るという大仕事。学ぶ機会「人間、こうやって衰えて、死んでいくのか」っていうことをね。はっきり言って、老いは美しくないです。無様だし。誰もカッコよく、コロッとなんか死ねない。
「それでもOKなんだ」って思えたらいいんですよ。歳をとるってそういうことなんだと。

つい最近もじじばばの役割は老いて死んでいく姿を見せること…という文章を目にしたことがあったんです。
美しくありたい、正気でありたい、迷惑かけずにコロリといきたい。
誰しもそう思うけど、それでもそうじゃなくてもいいんだと、死とは老いとはそういうものなんだと。
まだ20代終わりに引っかかっている自分としては、認めがたいし、そこまでしっくりはこないけれど、きっとこれは真理なんだろうなぁと心に残りました。

50代は、死についても考えると同時に、次世代に関しても思いをはせるようになるのですね。

この世界であとからくる人たちが歩きやすいように、少しずつ草を刈ったり、明かりをつけたりする作業を、この先何十年か、やっていきたいと思ってます。

小泉さんはこう語ります。
頭をよぎるのは、能年玲奈ちゃん、のんちゃんのこと。
彼女がいろんなしがらみの中でもがいている姿、どううつっていたのでしょうか。
きっと能年玲奈ちゃんにかつての自分の片鱗を見て、手を差し伸べてあげたいと思う方々がたくさんいて、小泉さんもその一人だったんでしょうね。

生き方も、50代オーバーの先輩方、こちらもうなってしまうような発想。

平松 「これはやらない」というのとを決めるって、大事な選び方。やらない、選ばないというのも実はちゃんと選んでいるし、大変な決意。

今後のキャリア、今後の人生、どう生きていくか明確な道筋はありません。
出たとこ勝負だなぁと、思うことも。
それでも、これをやる!じゃなくて、これはやらない!という、生きる指針を作っていけたらいいな。
確かに、相談業務でも、やりたいことは出てこなくてもやりたくないことは出てくる子が多いんです。
どちらも自分の意思で選んでるって意味では一緒ですね。
すとん、と何かが腑に落ちた感じ。

平松 何か起こるたびにしんどい思いわやしたりもしますけど、そういう時には「いや、でも」と思い直すんです。「起こったことは必然だったんだ。だから、すべていいことだ」って。そこは愚直に肯定する。

小泉 人間として最低限、「これはしない」「あれはしない」ということを決めておくと、いいですよね。

愚直に肯定するっていい表現。好き。
そうなんです、全てよかったんです。
愚直に肯定します。
後悔したこともあるけど、でも、これで良かったんです。

そして、美輪大先生の男性を斬るこのセリフ。
見事です。鮮やか!
文化をたくさん食べよう。

美輪 日本は男性の文化がない国。男性はまったく文化を楽しまない。音楽会、舞台、歌舞伎、見にいくのは女性ばかり。
精神的に栄養失調
文化、美術、文学、音楽などをたくさん食べて、それが身になっている人からは、光が滲み出てくるもの。

魚と柚子の話

朝は魚の習慣を、夫と始めました。
イオンの火曜市で、味付け魚一枚88円を2枚×三種類、鮭を4枚購入。
平日の朝ごはんは、魚と目玉焼きと納豆です。
魚は夫が夜のうちに焼いてくれて、目玉焼きは朝夫が焼いてくれます。
味付け魚、美味しくて焼くだけで済むので大好きです。
毎日魚を食べることで、健康にもよい効果があるのかしら。
ちなみに、夫は体重が-8キロ、血圧は140→120後半へと変化しました。
毎日走っているのと、カップラーメンやポテチを食べなくなったのと、晩酌を週一でしかしなくなったのと、きっと全て要因でしょうね。
魚もきっといい影響を与えているのかしら。

産直で四つ入りの柚子を買いました。
二つは冬至の柚子のお風呂のため。
いい香りでつい長湯できて、上がった後もほかほか。

一つは千切りして、同じく千切りにした皮付きの生姜同量をタッパーにいれて、かぶるくらいたっぷりの蜂蜜と共に冷蔵庫で一晩。
たまに上下をかえして。
お湯で柚子生姜湯もいいし、紅茶に入れてもいい感じ。冬場の飲み物として。

最後の一つはどうしようか考えた結果、ポテトサラダの下味に。
じゃがいも茹でてマッシュした後、普段は下味として塩胡椒とお酢をかけているのですが、柚子を絞ってみました。
うーん、上品な味になった。

食べ物も料理も大好きです。
育休復帰後はどんな風に付き合っていこうかなー。

フィギュアスケート全日本選手権雑感

全日本は、選手たちの熱い思いが伝わってくるすごいいい試合でした。
毎年毎年思うことは、ありがとう。
並々ならぬ努力をしている姿を、その集大成を、見せてくれてありがとう。
大半の選手が10歳以上年下になってしまいました、みなさんの、一滑り一滑りに、わたしは甘えてる場合じゃないなと背筋が伸びる思いです。たくさん学ばせていただいています。
一発のその舞台に、恐怖心や不安を力に変えて挑もうとする表情。
今年も胸がいっぱいになりました。

宮原知子選手、努力は裏切らないと言い切れるほど、逃げずに向き合ってきた人。
珍しく、演技後に涙ぐんでいた表情にこちらもうるっと。
濱田コーチも泣いていらっしゃいましたね、よっぽど思い入れがあるのでしょう。
怪我をして、今までの"これ以上ないくらい練習する"ことで自分に自信をつけてきたやり方が通訳しなかった時。
彼女なりにやり方を変え、出来る範囲で最大限できることをやっていたこと。
おめでとう。花が咲いた。

本郷理華選手も、ただただ美しかった。
彼女は、類い稀なほど自分が美しいということに気づいていない感じの素朴さがとっても魅力。
きっと色んな想いを感じてきたでしょう、歯がゆさもあったでしょう。
長い手足を活かすダイナミックな演技、諦めないと最後の一瞬まで力を振り絞った姿。
わたしはあなたをリンクの上で見続けたい。

樋口新葉選手は、瞳にいろんな感情が溢れますね。
SPの演技前の暗い目、
演技後の不安や混沌をなんとかコントロールしようとしている表情が印象的でした。
力強い、魅力的な選手。
五輪に届いて欲しいと思います。

本田真凛選手の軽やかさ、見惚れてしまいました。
これからどんな選手になっていくのでしょう。
オリンピックに行きたいと言った彼女が四年かけてどう成長していくか、とても楽しみです。
きっと器用なのでいろんな曲を一見滑りこなせちゃうのかしらと思うのですが、そうではなくて、その曲にのめり込んで咀嚼して真凛選手なりの解釈の、ちょっと粗削りなくらいのものを見てみたいです。
きれいな曲、可愛い曲を素敵に滑るのでは彼女の演技がBGMのようになってしまう気がします。

三原舞依選手、最後のインタビューの際に、"寒いと滑れなくて…"とさらりと言っていた言葉に、彼女の抱えているものを見せてもらった気がしました。
難病を克服して…と、解説のアナウンサーは事あるごとに言いますが、彼女の口から病気に関してのエピソードは聞かないので、あたかも完治して何事も問題なく生活しているように感じてしまっていました。
世界平和を願ったFP、そんな大きなものをテーマにした理由をいつかまたインタビューで見てみたいです。
ない状態になって初めて、あるものの意味がわかるように。
きっと三原選手は、一昨年の病からも何かを学び、それを昇華しているのだと推測します。
それが、彼女の演技に不思議に漂う透明感や希望あふれる感じに現れてるんじゃないでしょうか。
まだ高校生、これからも演技を見せてくれるでしょうか。楽しみにしています。

鈴木明子選手の振り付けで演技している選手、過去の選手が使っていた曲を使っている選手、そしてトリプルアクセルを飛んだ選手。
今までの選手の積み重ねがあって、その上に今の選手がいるんですね。
今の選手達はけして、誰かの二代目や、ポストなんちゃら…ではありませんが、でも、連綿と続く時間の流れで先輩方の影響を確かに受けて、続いていくんだなと。
こんなにも長い時間、同じ競技を見ていくと、こういう発見もありますね。
浅田真央選手はもう全日本に出ないけれど、浅田選手を見て夢見た子達が全日本に出てきて、…なんだろううまく言えないけれど、続いていくんだなと、それにも感動しました。
全然話は違いますが、私が死んでも娘が生き続ける事で、わたしの何かは生き続けるだろうとか、そういう思いと同じ感じ。

さぁ明日は男子だ。

イライラし始めた時は、疲れてる証拠

今日は娘ちゃん、朝から抱っこ抱っこで、
抱っこしたまま指をさした方向に連れていかないと、泣くという感じでした。
指をさした方向は、夫が買ってきてくれたカーネーションを挿した花瓶。
お花を触りたくて、触りたくてしょうがなかったのです。

でも、触らせたくない私。
だって折るし、舐めるし。
お花の場所を移せば良かったのですが、寝起きの頭では考えられず…
もう!となりました。

余裕がなくて、トイレに数分こもりました。
泣き続ける娘を置いて。
帰ってきて、涙を流している娘を見て罪悪感。

こんな風にイライラするのは、疲れてきた証拠。
今日はベビーヨガの予定が入っていて、身体もだるくて行きたくありませんでしたが、リフレッシュになると 思って行ってきました。

身体を動かして、娘も楽しそうにスタジオをうろうろして、他の赤ちゃんと交流して。
他のママとお話しして。
迎えにきてくれた夫と少し公園を散歩した頃には、すっかり穏やかな気持ちになれたのでした。

やはり外に出ることは、わたしにとってもすごく大事。
しかも、お稽古事だと自然に人と交流できるので今後も週2くらいで何か続けたいな。

地域のカルチャーセンターをじっと眺め、土曜朝一(7:30から!)のヨガにときめく。
これ、やれるかな。
夫に打診してみようかしら。
わくわくすると、ちょっと気分が落ち着く。

自分をいたわってあげよう。

母乳がいいって絶対ですか

母乳がいいって絶対ですか?

母乳がいいって絶対ですか?

田房さんは、すごく自分を客観視することが上手だと思う。
私の好きなカウンセラーの信田さよ子先生が、"自分は虐待の連鎖をしたくない"というう母親の相談に対し、"自分がされて嫌だったことをちゃんと覚えててそれをやらなければよい"(意訳)といった解答をされていたことを思い出しました。
田房さんは、自分のされてきたことに対して、なぜ嫌だったのか客観的に言語化しています。
そして、娘ができた今。
自分の嫌いだった母と同じようなことをしてしまいそうになったという、認めがたい事実を、意識化して認めて、受け容れているのです。
彼女の中で、文章や漫画で表現するという術は、そういう作業なのかもしれません。

妊娠出産育児において、なんだか言葉にしがたいけどなーんか嫌なこと。
それを、言葉にしてくれているような本でした。

心に残ったこと。

妊娠中って、自分の中に存在する差別や偏見を取り除くのに一番適した時期なんじゃないかと思う

生まれる子が障害を持つ可能性があると気づいた瞬間に、障害者という存在と自分との間にあった見えない境界線が見えなくなる。
自分とはちがう世界のものだと、小説の中のもののように捉えて好き勝手言えていたのが、そうじゃないことだと理解できる。
そして、それって自分でコントロールできないんです。
たとえ出生前診断をくぐり抜けても、いろんな障害と我が子が共に生きていく可能性はある。
少なからず。

そうやって悶々と考えて、それでもエコーの映像を目を凝らして見て、胎動を感じておなかを撫でた後、"まぁいいか"と諦める時がくるんです。
考えてもしょうがない、目の前のことをやるだけだ。
その諦念って、大事な経験なんだと思うんです。
身を大自然に任せる、なるようにしかならないということに委ね、粛々と生きていく。
それが、親になるということなのかもしれません。

あとは、妊娠出産育児にまつわって、身体が変化することに傷ついていいんだと思いました。
正直、悲しい。
おっぱいはもう、前のおっぱいじゃない。
おなかもきっとそう、芸能人みたいにしっかり鍛えれば戻るのかもしれないけれど、私の今の人生において、限られた時間やお金のリソースをそこに費やすほどじゃなくて。
傷ついたことを、母になれたのだから!と、受け止められない風潮もあります。
ママ友同士で自虐的に笑い話としてしかいえない現実。
それでも、田房さんは、傷ついていいんだと言います。
わたしも、傷ついた。
自分の身体が変わって、女性としての魅力的な身体としてはマイナスのベクトルに動いてしまった事実に、傷つきました。

娘の性器の洗い方について躊躇する気持ちもすごーく共感できました。
触れちゃいけない、見ちゃいけないんじゃないかと思う気持ち、そう思うことを嫌悪する気持ち。
性的なものじゃなくて、娘ちゃんの身体の一部としてあるものなのに、どうもドギマギしちゃう気持ち。
おおっぴらにどこにも書いてないからこそ、意識しちゃう。
でも、意識したことも見なかったことにしていたから、顕在化できてよかったです。

或る日突然娘ちゃんが脚本家になる妄想をした話も面白かったです。
ご自身がそうなりたかったんだと気付き、スクールに通ってみる行動力がすごい。
わたしも、娘に夢を託さないようにしよう。
娘の人生は娘の人生で私のものじゃない。
わたしはわたし自身の人生で、生きていく。
娘ちゃんの選択でわたしが残念に思ったときは、田房さんのように、自分の夢を娘に押し付けている自分に気付こう。