木馬の時間

ブログタイトルは俵万智さんの大好きな歌から。ゆっくり、前に後ろに。

娘の一歳の誕生日を前に

思えば妊娠中。大きなおなかに小さな命を抱えて、ゆっくりしか歩けなった。

満員電車や、車がこわくなった。

つわりが終わらず、うつっぽくなった。

若くて元気で命なんて意識もしなかったのに、誰かが亡くなったニュースに胸が締め付けられるようになった。

自分の時間、自分の人生、赤ちゃんの人生、夫の人生、いろいろ思いを馳せて、自分の人生がもうなくなっちゃうんじゃないかと辛くなった。

何も変わらずに飲みに仕事に行っている夫を見て、女性性であるということはこういうことなのかと絶望した。

 

産後、おっぱいが出ないまま、黄疸が強く出て娘が搬送されてすごく悲しかった。

初乳を届けられた時、一仕事終えた気がした。

娘が一人で寝ていること思うと、夜も眠れず、面会時間が待ち遠しかった。

いざ退院できた後、母が日中いてくれるのが心強かった。

おっぱいはなかなか出なかったから、ミルクと搾乳とおっぱいと、この三つを昼夜問わず作るのはすごく大変だった。

家族にも義家族にも会いたくなかった。

夫と実母以外の人に会いたくなくなった。

初めてのお出かけは、汗だくになって抱っこ紐にいれた。大泣きされて汗だくになってやめた。

いっぱいいっぱい話しかけた。

いっぱいいっぱい絵本を読んだ。

いっぱいいっぱいお散歩した。

 

娘が笑うと、何百回でもやってあげるという気持ちになった。

寝返りもはいはいもたっちもあんよも自然にできるようになっていて、あまりに自然なことだったから、感動せず受け入れた。

 

娘のおかげで、ヨガ、エアロビ、ピラティス、子連れでいける運動に参加できるようになった。

前だったら掃除が中途半端な自分を見せたくなくて、人を呼びたくなかったけれど、中途半端でもいいやと思えるようになった。

ちゃんと働いて稼ぐという覚悟ができた。

たくさん外に出るようになった。

この子が大人になるまでは死にたくないと生への執着が出てきた。

ママ友ができた。

夫との絆も深まった。

自分がしてもらいたかったことを娘にしてあげることで、自分の幼少期の満たされなかった部分が少し癒えるんじゃないかなぁと思えるようになった。

大嫌いだった義実家も、娘を愛してくれているから少し優しい目で見られるようになった。

 

自己肯定感が低いからか、こんな自分が親でごめんと落ち込むこともあるけれど、まっすぐ自分を求めてにこにこ笑ってくれる姿に、これでいいのかもと思えるようになった。

娘と出会えてよかった、生まれてきてくれてありがとう、どうかゆっくり、大きくなって。

わたしが護るから、わたしが世界一の味方になるから、わたしがたくさん愛情注ぐから。

わたしがいらなくなるその日までそばにいるから。

 

娘の誕生日前日、センチメンタルな気持ちです。

距離が近いとしんどいんだった

人間関係で大切にしているものを聞かれたら、距離感ですと即答する位、距離感が近いお付き合いが苦手です。

お互いの全てを知っておく必要はなくて、知らないところがたくさんある位でいいし、

コンタクトの頻度ともっと会いたいなと思うくらいでちょうど良いと思っています。

職場の人とは9時17時以外のお付き合いはしたくなく、いっそお昼休憩は一人で取りたい位です。

 

そんな自分は、ママ友との付き合い方は本当気を遣います…

3人のママ友グループで仲良くしているのですが、わたしは会う頻度が高くて疲れてしまったので何度かお誘いに応じなかったら、私以外の他の人を誘い始めわたしは誘われなくなりました。

そうなんですよね、断るっていうのは意思表示になっちゃうんですよね…。

月一位だったら、十分楽しいし大好きなのに! 

あとは、それぞれの結婚式や産後の写真を見せ合ったり、プレゼントを贈りあったり…

わたしてきにはまだそれは早いよー

と戸惑ってしまっている次第です。

 

距離の調整が難しい…

ママ友の存在は大事です、お洋服こんな感じに着せればいいんだとか、こういう風に離乳食お弁当にすればいいんだとか勉強になります。

子連れでいけるお出かけ先の参考になったり、病院の口コミが聞けたり。

大人と話せるのはすごく大事な時間でもあります。

 

だから、出来るだけ細く長く付き合っていきたい!

要調整です!

恋愛、雑感

人はね、誰かに愛されたら、その愛に報いるだけの生き方をしなくちゃいけないのよ(こうばしい日々)

愛に報いる生き方とはどんな生き方だろう。

要求ばかり強くなり、譲ることができない生き方はないだろうな。

最近の自分の日々を思い、反省しきり…です。

 

最近夫と関係がうまくいっていません。

喧嘩が多いのです。

家事のやり方、テレビとの付き合い方、娘への関わり方、いろんなことがきっかけでけんかになります。

でも、根底には好きな人が夫にバレてしまったという出来事があるんだと思います。

彼にとっては裏切りですものね、たとえ浮気と言える事実は一つもないといえど、だからこそ?傷つくんだと思います。

身体の浮気はないからこそ、より深刻。

メールを大事にとっていた私がよくなかったな。

見られちゃダメなものは、心の中だけにとっておく。

秘める恋とは、そういうことですね。

既婚者たるもの、ほのかな恋心は頭の中で楽しむに限る。

肝に命じます。

 

こないだ夕方に特急電車に乗ったら、乗り合わせた50代くらいの男女が人目をはばからずイチャイチャしていました。

きっと不倫カップルなんだろうな、イチャイチャできる場所が限られてるのかななんて思いながらじっくり観察してましたが、やはり美しくないですね。

乱れるのは私空間で、公空間では欲求にぐっと堪えるのが美しいのかしら。

 

美しい生き方をしたいです。

不倫は美しくない。

本人達の中ではとっても美しいけれど、周りから見ると全然美しくない。

夫と娘、世界で一番幸せになってほしいと願う二人の幸せを傷つけてまで自分の幸せは追求してはよくない。

そうやって、自分を戒めてる私でした。

 

でも人間は目をつぶれば空想することができるから。

物語の中に自分を見つけることができるから。

こうやってしたためてネットの海に流すことは出来るから。

自分なりに、少しずつ折り合いをつけていきたいです。

平昌OP フィギュア男女の雑感

なんだかんだいっても、どのオリンピックも期間中はすごく楽しいです。

日本人の活躍に胸躍らせたり、知らないスポーツに熱くなってみたり。

これが自国、2020年の東京オリンピックはどんな体験なのでしょうか。わくわく。

 

わたしはフィギュアスケートが大好きなので、今回も胸を熱くして見ました。

いやー、よかった。

やっぱり、フィギュアスケートが大好きですと改めて実感できるような、そんな試合だったと思います。

男子は、羽生くん、圧巻でしたね。

誰よりもフィギュアスケートに全てを懸けてきて、思いを込めて滑っていた様子が胸に響きました。

彼の人生や思いそのままが、美しいスピンや見事なジャンプ、熱いステップひとつひとつに映し出されて、わたしたちは魅了されてしまうのでしょうね。

流れる汗すら美しく見えました。

どうすればこんな子が育つのだろう。

エキシビションの練習で海外勢とふざけている姿にほっとしました。

 

対照的な宇野くんは、独特な魅力がメディアにクローズアップされていましたね。

オリンピックを特別な試合と捉えずに、気負わず、ただただ目の前のことをやっていくこと。

彼の口から語られる言葉からは、未来も過去も、周りのライバル達の存在までも、あまり意識していないことが伺えます。

彼の中の目標は、オリンピックのメダルのような人から与えられるものではないんでしょう。

それに伴う名誉とか、興味ないんだろうな。

彼の好きなゲームも同じなのかな、それ自体が面白いのかしら。

彼の心理状況、かなり興味があります。

あとは、愛想はなくても愛嬌があるタイプって素敵ですね。

自然に愛されるタイプ、本人は目立つつもりがなくても本人に注目がいくタイプ。

こういうタイプっていますよね。

山田満知子コーチは、愛される子を育てるとインタビューで言っていたことを見たことがあります。

真央ちゃんも、佳菜子ちゃんも、宇野くんもそうですね、愛されるタイプ。

どうやって育てるんだろう、たくさんたくさんかわいがって育てるのかな。

 

他の男子は、田中刑事くんもすごく良かった。

オリンピックを目指し、そして経験することで一皮も二皮もむけた印象です。

彼のマダム受けする、品の良さと清潔感のある色気、視線は素敵だと思います。

ボーヤンも、相変わらずチャーミングでしたね。

すごくステップやスピンで惹かれました。

北京五輪にむけて、更に世界のトップで争い続けるでしょう。

パトリックやフェルナンデスの、ベテラン勢も魅せましたね。

 

女子も楽しかったです。

メドベージェワの、FP演技後とキスアンドクライの表情にグッときました。

彼女の壮絶な生き様が現れているように感じました。

ロシアという国は、すごいな。

美しいメイクと髪型、ニコニコしている表情のメドベージェワの、少し崩れてコアな部分が出てきた表情と、そう、いつもは余裕すら感じられるのに、必死さが垣間見えた演技、人間らしさがみえたのかな。

ザギトワも、オズモンドも。

上位選手は個性が出ていてすごく面白いですね。

宮原選手も美しくて胸がいっぱいになりました。

最善の演技ができたこと、すごく嬉しく思いました。

強さと繊細さ、心からの笑顔。

怪我はすごく辛かったでしょうけれど、そこで得たいろんな経験を糧にして、内の感情が外に出るようになったさっとんは、更に素敵になったと思います。

満足しておらず、フィギュアスケートは続けるんだろうな。

また、いろんなプログラムを作っていく宮原選手を見れることができて嬉しいです。

坂本選手もお疲れ様でした。

まだ何色にも染まってなくて、何色にも染まりうる個性に未来を感じます。

からっとしている元気なキャラではなくて、本人もまだ自覚していないいろんな振り幅があるように思います。

ジャズの坂本選手とか見てみたいなー。

四年後にむけての話もしていましたね、日本女子はこれからもハイレベルな戦いをしていくんでしょう。

世界選手権は、わかばちゃんが出るのですね。

悔しさ発揮できますように。

やっぱり、わたしは、フィギュアスケートが大好きです。

うちの母ってへんですか

 

うちの母ってヘンですか? (Akita Essay Collection)
 

 田房永子さんの本。

ここに書いてある14人の親子は、すごく異常です。

異常ですが、ありえない!信じられない!と彼方の世界の人と思ってエンタメとして楽しむ気にはなりませんでした。

なぜって、きっと陸続き、地続きの人だと、子を産んだ今思ってしまったから。

家族って閉鎖的な場所で、自分の言うことを受け入れ、従ってくれる子どもという存在を得た時。自分の考えの偏った部分が助長して、子に押し付けてしまうこと…あってしまうかもしれません。

amazonのレビューでは、この母達は専業主婦に違いないと書いている人がいました。

社会とずれていることを気付かないままきてしまったのではないか…と。

核家族で閉鎖的な家庭という場所が、そういう現象を起こしやすくしているのだと思います。

もしそうならば、子供達にそういう思いをさせないためには、風通しの良い家にしておくのが大事でしょうか。

私が仕事復帰して、社会とのつながりを保つこと。

親戚や友達、地域との付き合いを通して子がいろんな大人と関わること。

それを通して、客観的に親を見ることができることが大事かもしれません。

だって、"うちの母ってへんですか"ってタイトルでわかるように、変だったことに気づくことすらできないんですものね。風通しが良くないと。

 

虐待案件と思えるようなエピソードもたくさんあり、胸が痛いと共に、そこから紆余曲折しながら生き延びてきた"娘"達に敬意の思いが湧いてきます。

なぜ生き延びることができたのか、その力はどこから得たものだったのか、もう少し聞きたくなりました。

ある人のエピソードでは、娘の保健室の先生が母の傷すらも癒してくれたという話が出てきました。作者はネットの悩み相談に書き込んだ時の解答が支えになったようです。

 

人生が一つずつ自分のコーヒーカップに乗っているようなものだとしたら

うちの母は私のコーヒーカップに乗り込んで回しまくっちゃってる感じ

娘のコーヒーカップに乗らない母親になりたいな。

侵略型の母親はどーにかして子どものテリトリーで自分が主役になるんですよ!

わたしの母はけして毒親の類ではない良い母ですが、こういうところはあるなぁと苦笑いしながら読んでました。

産後助産師さんが訪問してくれた時に、母が涙ながらに自分の産後の感動を語った時とか。

 

毒親かそうじゃないか二分されるんじゃなくて、閉鎖的な家庭という場では養育のやり方が偏りやすく、毒親になりかねない危険は誰しもあると思いました。

ママだって人間

 

ママだって、人間

ママだって、人間

 

 

同じ作者の、"母乳がいいって絶対?"に次いで読んでみました。

すごく良かったです。

なんだろうなぁ、妊婦も、産後も、こうしなきゃいけない、こう言わなきゃいけないという"正解"があって。

いやいや、でもそれ違くない?と、田房さん自身が経験して感じたことを書いているのが面白い。

わたしも、無意識のうちに"正解"に沿っていたんだなぁってことに、気付かされました。

"大変だけど子供は可愛くて幸せ!"

"おっぱい垂れたけど子供のためだからそんなもの二の次に!"

そう言わなきゃいけない感じ、ミルクでも全然いいのに、いろーんなところで"ミルクでも大丈夫"(でも母乳が一番いいんだからね)って、カッコ書きを言われる感じ。

 

正しい、みんなから叩かれないものが、正解じゃなくて、わたしが感じたこと、それが正しいんだ。

頑ななまでに、自分の感じ方を守って、その境界を飛び越えようとする雰囲気やムードにはすごく敏感な田房さんが興味深かったです。

きっと、それは、その境界線を土足で踏み越えてくるようなお母さんとの関係があったからなんだろうな。

わたしもおっぱい垂れたのも乳首が大きくなったのも、すごく悲しかったです。

女性として魅力的な身体ではなく、子にとって都合が良い身体に作り変わって行く感じから、もう私は女として終わったのだなぁなんて思いました。

傷ついていいんだと教えてくれたのは、田房さんです。

 

産前産後の性欲について赤裸々に書いているエッセイ漫画、内田春菊さんの私たちは繁殖しているシリーズくらいでしょうか。

自分の身体が変化していき、それに伴って性欲ももちろん変化します。

性欲も、一人の成人女性である以上あって当然で、それが産前産後だろうとあっていいのにね。

大好きな夫に、自分の変わってしまった身体を見られたくなくて、元彼氏に連絡を取ろうとするそのひねくれた思考回路はすごく共感できます。

 

産後の女性にはおすすめかな。

でもわたしは、田房さんは絵より文章の方が好きです。

単純な絵で、線が太い感じで、喜怒哀楽を激しく書いている感じが。

そんな単純明快なことを描いていないのに、画調が単純明快で、そのギャップがわたしには受け付けないようです。

テーマは大好きなので、これからも田房さんの本をたくさん読み続けようと思います。

目の前の辛いこと < これから先の辛いこと

娘は生まれつき軽度の心疾患持ちです。

心房中隔欠損症という、左心房と右心房を仕切っている心房中隔に、欠損孔とよばれる小さな穴が開いている病気。

動脈管開存症という、本来生後すぐふさがるはずの、肺動脈から大動脈の抜け道である"動脈管"が産後もふさがらない病気。

黄疸で大きな病院に搬送された後、くまなく全身を調べてもらった時に見つかりました。

日常生活は何も気にしなくてよい位の軽度で、ただフォローアップに1ヶ月、半年、一年と通うことになっていました。

そのフォローアップが、結構大変。

 

何が大変って、まず搬送された病院が、我が家から遠かったから。

車で1時間を乳児と共に行くのってなかなか疲れるんですよね…。

たくさんのおもちゃやおやつを差し出しながら、お歌を歌ってたくさん話しかけて機嫌をとりつつ。

これは、早々に家に近い病院へと転院すればよかった!と最近気づきました。

 

フォローアップは、心臓エコーで検査して検査結果をフィードバックしてもらうという流れです。

この、心エコーが曲者で…

眠ってないといけないんです、赤ちゃんが暴れると良くないから。

眠るためのお薬を直前に飲ませてもらうのですが、たぶん赤ちゃんだからあまり強い薬を使っておらず。

眠りやすいように、眠い状態で病院に来ることを求められるんですね。

それがすごく大変。

 

いつもより早く起こし、昼寝をしないように抱っこをパパとママで交代でしたり、高い高いしてみたり。

機嫌がだんだん悪くなり、ねむいよねむいと目をこすりながら泣く娘を見るのが辛くて辛くて。

よしよししてしまって、しまいには寝てしまいました。

 

案の定、検査前には目がぱっちり。

お薬飲んでも全然寝ず、薬も追加でもらい、1時間頑張って寝かしつけてようやく寝ました。

一安心。

帰宅後、薬が強かったからかふらふらで、いつもなら抱っこやつかまり立ちで転ぶことはないのにたくさん転び…

挙げ句の果てにはギャンギャン泣き叫び、頑張って寝かしつけて今は爆睡中です。

何度も自分のリズムではなく寝かされたり起こされたりしていた娘がかわいそうで、お夕寝の時間をとっくに過ぎていますが、夫と二人で見守っている今です。

 

フォローアップはすごく大事なことなんですが、娘に今負担をかけていることがすごく苦しいです。

思えば、注射の時もそうでした。

小さな身体を押さえつけられて、五箇所も注射をされている娘。

将来のことを考えると、注射をしないなんて選択肢はないけれど、みているのはすごくすごく辛かったです。

歯磨きもそうですよね、嫌がることはやりたくない。

でもこの先に、もっともっと辛いことは経験させたくない。

だから、我慢させて、私たち親も必死で我慢して、辛いことをやらせるんです。

これがきっと親の仕事。

親って辛いですね。

辛いけど、本当に娘にとっては何が必要かを考えることが大事なんですね。

 

フォローアップday でした。