木馬の時間

ブログタイトルは俵万智さんの大好きな歌から。ゆっくり、前に後ろに。

「頑張る」ことに対する意識の変遷

久々に会った友人の考え方について、

あーわたし5年前位にはこういう考え方してたはって

昔の自分を見るような…生温かーい気持ちになった。

 

その考え方は、頑張ること至上主義というか、いつも何かに頑張って

前向きにポジティブに吸収して、様々な人とその吸収したことを語り合う

そういう自分最高!みたいな感じ 笑

よく「意識高い系学生」って揶揄されるよな考え方。

きっとよく言えば向上心の塊みたいな感じ

 

だけどわたしは、もうその考え方をしないのだ

当時そういう価値観バリバリに生きていた時は、多様な生き方を認めていないというか、

そうじゃなくて自分から積極的に学んでいなくても、

目の前の課題とか生活とか人生を堅実に生きている人とか

今の自分の能力を伸ばすことも大切より、それより、今の安定感が大切って

思ってる人とか、

だらだらしたいずぼらな自分、あまり挑戦したくなく引きこもっていない自分

そういうのを全て否定していたから。

うん、いっそ、軽蔑していたと言ってもいい。

 

彼は、まだそこの渦中にいて、「もっとお互いを高めあえる関係がいい」って

彼女を振った。

 

今は、前よりはできない自分だらだらしてしまう自分を知っている

そういうところを否定したり、目をつぶったりは前よりはしていない

頑張れないときは頑張らなくていいし、

頑張れるときに頑張ればそれで十分じゃないかなって思ってる

頑張りたくなくても頑張んなきゃいけない時だってくるし。

 

彼は、自分がそうやって前向きで生きていることが気持ちいいし楽しいんだと思う

だけど、そのせいで、そうできてない自分を見てないふりをしていることとか

そうできない人を、無意識に軽蔑してること

それを自覚した方がいいと思う

 

肩の力抜いて

ほどほどに生きてくことが

大切だって、私は気付いて

そうできなかった時よりずっと楽になりました

 

きっとそれを今の彼に伝えてもわかってくれないと思うけど

そう考えたよ