木馬の時間

ブログタイトルは俵万智さんの大好きな歌から。ゆっくり、前に後ろに。

古着を被災地に送りつる人と彼のお母さん

災害があると、古着を被災地に送る人達がいますね。

自治体がその処理に困るというのは、災害後あるあるです。

送る人は善意で送っているでしょう。

きっと、比較的綺麗なものや高かったものを、洗濯し直して、綺麗にたたんで送っているのでしょう。

しかし、相手が求めているものを送らない限り、それは単なるエゴになってしまいます。

 

彼のお母さんから、巨大な安産祈願が送られてきました。

暗〜い気持ちになりました。

飾る場所に困りました。

飾った後も、視野に入るたびに憂鬱になります。

今から捨てることを考えて億劫な気持ちになります。

 

彼のお母さんの行為、100%善意でしょう。

ただ、私は本当に気持ちだけで良いし、物に変えずにお金でいただいた方が数百倍も助かります。

彼のお母さんが、"私のため"という大義名分で、"自分がやりたいこと"をやっている。

それが、今までいろんな違和感として感じられていました。

断りにくい善意・援助の形をした過剰な干渉…に感じていました。

いっそ、私がそうして欲しいからとエゴを直接ぶつけられたいです。

そしたら、拒否しても罪悪感は薄らぐので。

 

こうやって、"あなたのために"という体で、巨大なお札を送られて、それに嫌悪感を抱き、嫌悪感を抱く自分に、罪悪感を感じるんですよね。

 

義両親、悪い人じゃないと思います。

彼を立派に育て上げてくれた事実だけでも感謝の念もあります。

 

ただ、どうしても嫌いなんですよね。

どうしたものだか。