凪のお暇、はまっています。
空気を軸に考えてみると。
空気を読みすぎて息ができなくなった凪。
お暇を機に、本来の自分でできた人間関係、自分の居場所。
ベランダで気持ちいい風にあたる描写が印象的です。気持ちいい空気に当たってるってことですよね。
空気を読みすぎて、息ができなくなったシンジ。
凪と同じ、周りの期待に応えようとしています。
本来の自分を隠していた凪に、魅力を感じていたのは、自分と似てる部分を持っていて、でも自分より不器用だったから。
だから、まもってあげたいと思ったのは、 本心なんだと思います。
ただし、シンジが愛していたのは、そのままの凪じゃなくて、自分と同じように、"周りの期待に応えようと必死だった"凪。
そして、節約料理に象徴されるような、地に足ついた生活に、幼き頃からの自分が癒されてくる感覚も覚えていたんでしょう。
二人とも、もう空気を読まない生き方をしていきたくて…。
第一歩を踏み出します。
でも、第一歩を踏み出すことで、今まで守っていたものが壊れてしまう自覚もあって。
その悲しさに、二人で泣いていたのでしょう。
"大人が泣く"って、全然空気読んでない行動。一人で泣いていたシンジは、凪の前で泣けるようになり、しまいには、二人で泣けるようになります。
子供みたいに、泣いている二人の描写は、胸に迫りました。
そのまま、二人でハッピーエンドになると思いきや。
さぁ、最終巻はどうなるのでしょうか。
空気を読めることって、ずっと、美徳とされてきたと思います。
"気配り"とか、"コミュ力"とか、そういう言葉で、奨励されてきた力。
でも、凪のお暇に出てくる、空気を読める人たちは、みんな苦しんでいます。
凪も、シンジも、市川さんも、凪のお母さんも。
そうじゃなくて、周りの空気じゃなくて、自分が何をしたいか、何が好きで誰と一緒にいたいか、自分の髪型も、服装も、仕事も、全部自分で選んでいくことが、愛すべき登場人物が幸せになっていく鍵なのかもしれません。
空気を読むというのは、ある意味、似たような背景で、同じような価値観を持つ集団じゃないと成立しません。
共通性があって、"正解"があるからこそ、読むものなのです。
でも、これからの日本はさらに変わっていきます。性別も、国籍も、人種も、多様で、さまざまな価値観を持つ人たちが一緒に暮らす社会になっていくでしょう。
そんな中、必要なのは、空気を読んで正解を探すことより、美味しい空気を吸える環境を、自ら作り出していくことなのかもしれません。